20070207

エロゲのパッケージング ~スクリプトの重要性~

背景が写真画像の加工って、商業作品としてどうなのよ?>anonymous

でも1024×643ドットのウインドウ表示ってのはちょっと面白い試みだと思います。いまどき1024×768以下のモニタの方が少数派でしょうからね。特にwin98時代のマシンに関して言えば、MSのサポートが昨年(06年7月)打ちきられてるから、こういったある程度低スペックな環境のマシンを動作対象から除外しても世間の風当たりはさして強くないでしょう。(いまだに640×480なんてモンをつくってる連中は爪の垢でも煎じて飲んでください。お願いだから)

んでanonymous。内容云々はともかく、rUGPのお家芸でもある細かな演出もあって、かなりチープな作りにも関わらず、結構なボリュームがある作品のような気にさせられます。いや実際は一枚絵とかの枚数がそんなに多いワケじゃないんですけど、それらをトリミングしてズームしてみたり、動かしてみたり、エフェクトをかけたりと、多彩な演出を加える事により多彩なグラフィックを用いているような錯覚を起こさせているのですよ。ま、もちろんこういった手法では作画系の作業が簡易化する替わりに、スクリプターさん(及びデバッガ―さん)の作業が超地獄になるわけですが。

こういった動きを大胆に取り入れた演出っていうと、あのTYPE-MOONの「Fate stay/night」がよく引き合いに出されますが、最初にやりだしたのって、実はageだと思うんですよ。一枚絵やスプライト(立ち絵等の表示オブジェクト)をスクリプトで動かして細かな感情や雰囲気を表現してみせたり、大胆な"動き"(躍動感?)を表現するってーのは、私の知る限りでは「君が凹む永遠」が先駆けだったよなぁ。もちろんその手法を完成の域にまで洗練させたのが「Fate」で有る事には異存は無いのですが。

"紙芝居"と揶揄されるノベルタイプのゲームにとって、これは「福音」と言ってもいいくらいの出来事でした(パラダイム・シフトといっても大袈裟じゃ無い) すなわち紙芝居には紙芝居にしか表現できない手法が発見されることによって、初めて"何かの劣化版"(簡易版と置き換えても良いでしょう)という生まれながらのコンプレックスから脱却できたと思うんです。言葉を濁さずにハッキリ言えば、それまでのビジュアル・ノベルって「テキストだけでは勝負できないのでビジュアルとサウンドを追加した小説」であり「映画やアニメーションには届かないエンターテイメント」であったと思うんです。

しかし、この手法の発見により、初めてビジュアルノベルは「小説(=活字)」や「映画(=動画)」とも違う独自の表現方法の1ジャンルである、というスタンスを確立し得たんだと思います。

そもそもこのジャンルって、ビジュアルノベルというものが発明された「かまいたちの夜」より10数年、すうっと脚踏みをしている状態でした。音源やグラフィックが8ビットから32ビットに変わっただけの"変化"しかしておらず、"進化"の袋小路に入りこんでいたと思います。それでもPCの普及に伴いマーケットは爆発的に拡大し、わずかな資本で参入できるという事もあり、雨後の筍のごとく乱立した同人まがいのソフトハウスが、旧態全とした表現方法でやれ「泣けるシナリオ」だ、やれ「萌え絵」だといった方向でのみ鎬を削っていたワケです。

そんなどんよりと停滞しきったこの業界に一石を投じたのが、先に上げた「君凹」であったワケですよ。虫唾が走る程ヘタレきった孝之君の活躍する華麗なるシナリオや、プロローグにあたる第一章を丸ごと体験版として配布するプロモーション などセンセーショナルな話題には事欠きませんが、やはりあれだけのセールスの原動力にはこのあらたな表現手法があった事にも着目しなければいけないと思うんです。

ところが、この画期的な手法も、ディファクト・スタンダードにはなり得ませんでした。端的に言ってしまえばフォロワーがいなかったんですよねぇ… ズバリ言ってしまえば黙殺されたんです。すなわちそこまで凝った事をやってもメリットが少ない(=セールスが伸びるとは限らない)、逆にデメリット(開発時間の延長、プログラムの複雑化)のリスクが大きい、という判断だったのでしょう(これは"マブラヴ"の度重なる延期も原因の一端だと思っています。これが当初の予定通り"君凹"の半年後に続け様に発売されていれば、業界としても無視できないムーブメントになっていたと思っているのですが…)

これはあくまで営利目的で創作活動をするという商業ベースのソフトハウスにおいては至極当然の判断であったとも言えるでしょう。故に、半ば埋もれていた手法に、再び脚光を浴びさせたのが同人出身のTYPE-MOONであり、その機能を実装していたのが吉里吉里であったというのは有る意味必然だったのだと思います。ま、(半分)アマチュアだからこそ本当に納得の行くまで作り込む事ができたっていう、有る意味痛烈な皮肉なんですけどもね。

まあでも昨今のソフトハウス(いや、昔からか)は発売延期をふつーに行うプロ意識の欠如している処が殆どなんですけど(納期を守れないっていうのはプロとしては最低だべ?)その割りに未だ古式ゆかしいなんの工夫も無い紙芝居レベルのモノが多すぎるんですよね…

エロゲ(ギャルゲと言っても良い)は『絵』だけを売るワケじゃない。たんに可愛い絵が欲しいなら同人ショップでCG集でも買うっつの。 『シナリオ』だけを売るワケじゃない。萌えなテキストだったら電撃文庫でお腹一杯だっつの。 『サウンド』だけを売るワケでもない。素適音楽を聴きたきゃ好きなサークルの同人CDでも買えば済む話さ。
僕らは何故エロゲを買うのか? それはすなわち『ビジュアル』と『シナリオ』と『サウンド』それらすべてが『スクリプト』によって調和された総合エンターテイメントを求めているのに他ならないのです。

しかしながらぶっちゃけ、「あの作品はスクリプトがスゲェ」なんて評価は他所じゃ聴いた試しが無く、こんな事考えてるのは私だけなのかなぁ…とか寂しく思ってみたり。ちなみに、初めてこのスクリプトスゲーって思った作品は、実は「歌月十夜」だったりするんですけどね(あのNScriptorであれだけ凝った事やってるって実際凄いぜ?起動した日でメッセージを替えるなどの無駄ギミックも満載だしw) TYPE-MOONの成功は那須氏のテキスト、武内氏のビジュアルってのはもちろん大きなパーセンテージを占めているとは思うんだけど、それだけじゃなくやっぱりスクリプトの技術力(というより発想力ね)っていうの?作品を一つに束ねるパッケージング能力に長けていた、っていうのが実は大きなウエイトを占めていたりすると私は考えるのですが、如何なものでしょうかね…

[CLAP]

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